概要
日時:2022/06/18/土/17:00~18:00
場所:GOALOOK学習塾
講師:高山祐輝(Takayama Yuki)
GOALOOK学習塾講師
所属:京都大学理学部
出身:鹿児島県
卒業:ラ・サール学園
ロシアのウクライナ侵攻から数ヶ月が経ちました。日々ニュースで取り上げられ、皆さんもある程度状況の把握ができていると思います。しかし、ニュース等ではなかなか歴史的な説明がなされていないのが現実です。ウクライナ問題は1000年以上前からの問題だと言っても過言ではないのです。そこで今回は世界史的な視点からウクライナ問題を取り扱う予定でした。
実際に資料等を作り始めたものの、どうしても日本人にとって理解が難しい点がありました。それは「民族」という概念の理解です。この理解はウクライナ問題だけではなく世界史・国際関係を理解する上で避けては通れません。ウクライナ問題を歴史的に説明する前に民族の概念を理解する方がまず優先すべきだと考え、方針転換を決めました。
なぜ日本人とって民族という概念を理解するのが難しいのか。それは実は日本という国は世界的にみて非常に珍しい国だからです。日本は地政学的、歴史的理由から民族への意識が醸成されにくいのです。感覚的には「我々は日本人だ」ということで済んでしまっています(※1)。厄介なもので「〇〇人だ」という感覚は民族の概念とは少し異なるのです。
ウクライナ問題を捉えるために「民族」の理解は非常に重要です。子供たちにとって民族とは何かを考えることはほとんどなかったと思います。この機会に民族とは何かを理解し、ウクライナ問題(それ以外の国際情勢や歴史も)にも向き合ってもらえればと思います。
※1:日本は単一民族で構成されていません。
講義構成
なぜ人は争うのか?
まず最初に考えたことは「なぜ人は争うのか?」です。
“価値観が合わないから”
“先着順とか枠が決まってたりするものがあるから”
“欲のぶつかり合い”
たくさんの意見が出てきました。そこでさらに深掘りをするために「争いの形はどんなものがあるだろうか?」ということを考えました。
“戦争”
“受験”
“スポーツ”
“選挙”
実力を行使するものやそうでないものなど我々も感心させられるような考えが生徒からたくさん出てきました。
これらを踏まえると争う理由は「自分を守るため」かもしれないという結論(仮)に行きつきます。
では自分とは何なのでしょうか?
民族の捉え方
「サッカー日本代表が勝った!嬉しい!」
このような体験はありませんか?
我々人間は自分が属する共同体を「自分」として捉えます。
では他にどのような共同体が考えられるでしょうか?
“関西人”
“自民党”
“バドミントン部”
“〇〇高校”
“家族”
“男”
ここでもたくさんの意見が出てきました。
ここからわかることは「自分」のスケールは可変だということです。
例えば、普段は野球部とサッカー部でグラウンドの整備をめぐって対立しているのに学校対抗の場ではその意識はかき消え、1つの共同体としての意識に変わりますよね。野球部を「自分」と捉えることもしているし、サッカー部を含む学校を「自分」と捉えることもしています。
次は自分とそれ以外を決める基準について議論します。
共同体意識と対立
「自分」のスケールは可変であることは既に考えました。では「自分」はどのように規定されるのでしょうか?
「利害関係」がやはり最初に思いつくと思います。しかし、実際にそうなのでしょうか?
そうではなく、やはり感覚的なものではないかと考えています。それは利害関係をベースに共同体意識が生まれるわけではないからです。共同体意識が先に存在しています。先に共同体が何らかの理由で規定され、その共同体に属するという感覚が生まれて初めて人は共同体の利益を求めて動きます。反論として共同体形成前に利益を求めて共同体を利用するというパターンが挙げられると思います。しかし、これは共同体の最小単位である「自分(1人)」という共同体意識がベースの行動です。従って共同体が規定されて初めて利益を求める行動をとると言えます。
共同体形成→共同体への帰属意識→共同体利益の共有
※個人の利益を追求するのは「個人(という共同体)>共同体」になっているから
※共同体への帰属意識の優先順位によってスケールが選択されている
では「共同体への帰属意識」とは何でしょうか?。我々はこの部分が「感覚的」だと考えています。そしてそれは高山先生の言葉を借りると「仲間意識」と言い換えることができます。
仲間意識の有無が共同体意識を導く一方で、仲間意識が生まれるということは心の壁を生み出します。
「ATフィールド(ボソッ)」
その心の壁が対立を生みます。仲間意識のスケールによって相応の対立が生まれるのです。
民族意識が繰り返してきた歴史と現在
民族意識は歴史上様々な争いを生み出してきました。またある時は民族意識を利用されてきました。
その筆頭がナチス・ドイツでしょう。全体主義に民族意識は利用されました。ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」でそのように述べています。惨憺たる結果をもたらしたのは皆さんご存知でしょう。
そして民族間の対立は現在進行形で世界各地に存在しています。スペインのバスク問題や中国のウイグル問題。そしてウクライナ問題。
ウクライナとロシアの民族意識
ロシア人にとってウクライナやその他の周辺地域に住む人は同じ「ロシア人」という感覚があると言えます。実際にウクライナにはロシア人を自称する人がたくさん暮らしています。だからこそウクライナが親「西」になることへ恐怖感が募るのです。一方で「私はウクライナ人だ」と考える人もたくさんいます。そこで対立が発生しているのです。
ロシアの実力による現状変更は認められるものではありません。しかし、なぜそのような状況が生まれてしまったのか「民族」への理解を高めることは生徒にとってとても大切だと考えています。
まとめ
参加者全員が自分の考えを述べる機会がたくさんあって非常に楽しい回になりました。普段は寡黙な生徒も疑問を投げかけるなど積極的な参加が見られて成長を感じます。普段考えたこともなく、誰かに教えられることもないようなテーマをじっくり考える場はやはり非常に貴重だと思いました。
高山先生ありがとうございました。
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